普通日記

働くトリネガ、絵描き修行中につき

変わったこと、変わらないこと

鹿児島での治療をひとまず終えて、症状も特に問題なく落ち着いている。そうなると乳がんブログであるここのネタも底をつく。未婚で子供もいないので、ほのぼの子育て日記や、ダーリンとのラブラブ日記にシフトできず、気がついたらクリスマスで、あらやだ、年賀状書いてねーぞ、と焦ったりしている普通の年末。まぁいいか、普通日記だし。

職場に復帰して2週間が過ぎた。妙齢シングル女は働かねば生きていけない。給料がダウンすると食い扶持に直接ひびく。ガンになろうがなるまいが、そこは変わらない。ガンだから優しくしてください、なんて甘い話が通用するはずがない。しかし、今後も検査で休むこともあれば、追加治療があるかもしれない。再発や転移があるかもしれない。ガンになる前と同じというわけにはいかない。

先日は出張をことわった。工場内の事務所にもヘルメットがかぶれないので行かれない。かぶっても取る時にズラまで取れたら大惨事。私が、というより周囲が。ちょっとした事ができなかったりする。なので直属の上司にはできるだけ状況を話して相談することにした。マメで切れ者の上司で助かった。優遇はなくても配慮はしてもらっている。

職場の中でどこまで話をするかは迷うところだ。どこにでもワイドショーな人はいるもので、乳がんなんて一応センセーショナルな部類に入るだろうから、そういう人にとってはおいしいネタになる。自らエサをまいてやるつもりはない。一方では、手を貸してもらう場面も増えるので、黙っているのも道理が通らない。

できること、できないこと、やりたいこと、やりたくても無理なことの境界線が変わったという事実をひとまず受け入れなければいけない。なかなかバランスが難しい。

私の家は自営業だったので、病気で休業することがどれだけ厳しいかは理解できる。会社で入れ替わりが頻繁な派遣社員やパートさんの様子も知らないわけじゃない。ガンになっても仕事がある、仕事ができる。今はそれだけでありがたいのだと思っておこう。

 

なーんて仕事をしているフリをしてブログ下書き作成中に、新しいお仕事を言い付かったよ、と。ケモでやられた頭で新しいこと覚えられるのかな~。私の海馬はどうかな~。ぼけぼけ。

あ、そうだ、遠方から友人がお見舞いに来てくれたので、温泉に一緒に泊まったんだけど、そこで海馬の謎を解いてもらったよ。海馬とはタツノオトシゴのことで、顔が長いから海の馬。大脳辺縁系で記憶に関わるお役目を果たす部分がタツノオトシゴの形に似ているところから海馬となったそうだ。

前に不思議に思って調べたことがあるんだー、ってサラリと言っていたが、たぶん彼女は変な人というカテゴリー(笑)

そしてさらに、緑青は銅にとっての愛、という話もなかなか興味深かった。銅のサビっちゃそれまでなのだが、緑青が生じた銅はそれ以上の腐食をすることがなく、むしろ内部は抗菌力で守られる。君は僕が守るよ!という銅への愛、それが緑青、という話を博物館の一角で古銭を見ながら淡々とする友人。なるほど、何度もコクコクうなずいちゃったよ。説得力あるな~。鎌倉の大仏なんて愛にあふれてるってことだね。

仕事では使わない脳の部分に刺激を与えてくれる友人のムダに豊富な知識は、いつでも上等のユーモアでラッピングされている。これは変わらない。たぶんずっと変わらない。

鹿児島でお茶を買ってきたのだ

私は下戸だ。採血のときもアルコール消毒はできるだけ避けてもらっている。FECの後にTCを4回の予定だった。血液内科の先生が「TCはアルコール溶液を使うのよね。先に下戸って聞いておいてよかった」と言っていた。普通に酔っ払うらしい。FECで弱っていたからアルコールで蕁麻疹なんかも出たんだろうなぁ。アレグラとか飲んじゃってたかもね。TCをやる前に逃げちゃったけど。

酒を飲まないので、お茶は少々お高くても美味しいものを買うことにしている。乳がん予防に緑茶の効果はビミョーって厚労省が言ってるけど、んなこたぁ関係ない。緑茶はおいしいから飲む。

鹿児島県、もうちょっとお茶の産地をアピールしたらいいのに。静岡に次いで国内生産量2位じゃないか。もっと自慢しようよ。知覧茶はそこそこ知る人ぞ知るブランドだが、私が買ってきた霧島茶だってかなりおいしい。静岡のお茶は渋み=深み、しっかりとした旨さをアピールしてくる感じだが、鹿児島のお茶は丸みのあるやわらかい甘さが深みになっているような気がする。わざわざ産地まで赴かなくても、鹿児島市内にはあちらこちらにお茶の専門店があって試飲ができる。濃い目のお茶を一口飲むと甘いお菓子をつまみたくなる。かわいらしい茶菓子も売っているので、まんまと罠にはまる。電車通りにある美老園本店で、店員さんにあれこれ聞きながら庶民の贅沢レベルのお茶を3種類ほど選んだ。店内にはお茶会に使うような上品な和菓子もあれば、おやつで食べたい洋菓子もある。茶器も目ン玉飛び出るようなものから普段使いできるものまで揃っていた。それを眺めながら抹茶ソフトを食べるのもいい。

第2クールを終えて空港へ向かうバスの窓から見た霧島の茶畑は、小雨に濡れて緑色が鮮やかに揺れていた。遠景は朝の湿った空気に茶葉の緑が淡く溶け込んで、薄灰色の雨空につながっていた。これで治療も一段落だという安堵と、これで良かったのかという迷い、これから先の不安も一緒に溶けて揺れた。

茶畑を抜けると間もなく空港に着く。こじんまりとした鹿児島空港だがレストランや土産屋はなかなかの充実ぶりだ。山形屋のあんかけ焼きそばも空港内のレストランなら並ばずに食べられる。軽食の代わりに揚げたて熱々のさつまあげを単品買いしてもいい。試食用のお菓子をつまみ食いするのも楽しい。結局、鹿児島では最後の最後まで食べてばっかりだった。 

老化現象進む、頭悪くなる

職場に復帰して1週間。浦島太郎の気分を満喫中。知らない人が増えていた。派遣社員のお嬢さん達らしい。若い女子はメイクが似ていて区別がつかない。ついでに何をしゃべっているのかも分からない。日本語なのに。浦島太郎に加えておっさん気分にも浸っている。

髪が伸びて蒼井優ちゃんくらいになった。残念なことに白髪が増えて全体的にグレーな感じだ。頭の左横っちょにつむじがあるので、自然に7:3分けになる。白髪で7:3。鏡を見るたびに父親に激似だと思う。そっくり、びっくり、がっくり。せめて父親の年齢までは生き延びたいものだ。

患側の右腕の稼動範囲が狭くなっている。上げる時は突っ張り感はあるものの痛みはあまりない。しかし後ろにはほとんどまわらない。着替えるたびに痛むのが不便。筋肉が硬くなって血行が悪いせいか、肩こりがひどい。週末あたりから腰痛も出てきた。ホットフラッシュらしき症状が出始めてから、動作の初っ端に関節がギシギシするようにもなっている。お年寄りが「どっこいしょ、アイタタタタ」と腰や膝をポンポンする気持ちがよぉ~く分かる。

職場の上司にフル稼働できるか確認される。何もなければ徐々に仕事量はこなせるようになると思うが、何もないという確信はない。なければいいな~、とは思っている。曖昧な返答に上司も困惑気味。こればっかりは分からない。確実に老化現象が進んでいるようなので、これから先は今までのような無理は利かないのだと思う。仕事量がこなせないのなら効率を考えねばならない。考える・・・。これがまた残念なことに、すんごいバカになっている自分に気づく。特に短期の記憶がゆるゆるで、あちこちに忘れ物をする。物忘れもひどくて、土曜の夜に友人と蕎麦などすすりながら「今日は討ち入りの日だねぇ」などと話をしていたのだが、どうしても堀部安兵衛の名前が出てこない。堀ナンチャラっつー、ほら、あれ、なんだっけ、ま、いっか、ところで大石内蔵助の内って字はいらないよね、あれは苗字側なの?名前側なの?と脱線しまくる。そもそも13日の金曜日にボーナスが支給され、傷病休暇がギリギリ計算期間に引っかからずにラッキー、買い物行こうぜ、行っちゃえ買っちゃえでイカした靴を手に入れて有頂天ってところがアウト。何度も言うようだが、物欲は捨てるという決意をすっかり忘れている。

当然、仕事の上でも影響していて、AをするついでにBをやる。BよりCを先にやっておけばDが楽になる。という組立ができなくなった。Bやってたら本題のA忘れたとか、なんでC先行したんだっけ~、みたいな。10年前のことはよーく覚えているが、ついさっきのことは忘れちゃう。老化現象が進んでいるのか、ケモで海馬がやられたのか。どっちもどっち。ところで海馬ってなんで脳なのに海馬っていうんだろう。余計なことばかりが気になる。

自分禁止令と甘い生活

あれもやりたい、これもやらなくちゃ、なのに何もできない、という葛藤に押しつぶされていた初夏だった。そして、今はひととおりの治療を終えて、抗がん剤の副作用からも開放されて職場にも復帰できるくらいに元気になった。あれもこれもできる。できるはずなんだけどねー、どうしてこうサボり癖が出ちゃうんでしょう。明日はないかもしれないとまで思っていたのに、明日やればいいや、と簡単に考えるようになっちゃって。
ダメ人間だー。あたい、ダメ人間だわ~。っていうか、元通りになってるわ~。
元通りの健康ってわけじゃないけれど、概ね元気な師走。

もともとがんのしこりは触ってもはっきりしないタイプだったが、かつてないほどにハッキリと感触がある。放射線治療によるものだと思うが、皮膚が硬くなっているせいもあるのだろう。胸にでっかい塊がある。これ、いいんだろうか。本当に私のがんは小さくなったのか、という不安をかかえつつ職場に復帰。
8月上旬から傷病休暇に突入したのだが、見事なまでに書類が整理されないままに積みあがっていた。「まだ他にもあります」と後任の担当者がキャビネットの扉を開けたら書類の雪崩が・・・。この場面、ちょーウケるんですけどぉ~、というセリフがぴったりかと。メインの仕事は引継ぎしてあるので、とりあえず書類整理やら雑用の片付けでアイドリング。中途半端に業務を戻されるより、時間に追われずにできる仕事があってよかった。なんて気楽なんだろう。しばらくは得意技の「忙しいふり」を決め込むことにする!

3ヶ月半ぶりの職場では、本当に心配してくれる人、興味本位に心配してくれる人、気を使ってそっとしておいてくれる人、それぞれにありがとう。毎日誰かにありがとう。かつて仕事上で融通を利かせたり手伝ったりするたびに賄賂を貢がれていた名残なのか、さっそくお菓子などのスイーツをもらう。会社ってステキ!って、そうじゃないから。甘いものは身体を冷やす。脱・低体温を目指してスイーツ禁止令を自分に発令した。「えさを与えないでください」の看板を掲げたほうがいいだろうか。とはいえ、甘いものは大好きだ。完全に禁止してしまうと、これから先の甘い生活がションボリだ。なので特例措置として「外食時のみ解禁」とした。スイーツ食べたさに外食が増えたような・・・・・気のせい?気のせい?気のせい?
ダメ人間だー。あたい、ダメ人間だわ~。元通りだわ~。

働かねばならぬ2

5月に1回目の化学療法にビビって入院した。その時の保険請求をしていなかったので、今更ながらお世話になった総合病院に診断書をもらうべく手続きに行った。受け取った診断書には主治医の所見として「化学療法により縮小を確認できたが、本人の希望により放射線を主体とする治療に移行する為、転院」と記載されていた。少しチクリと心に刺さる。

以前に同じお題目で書いたときは、抗がん剤の副作用で日に日に弱っていく身体に、気力どころか普通の思考回路すら断絶気味だった。身体よりも先に心が死ぬと思った。こらえ性のないワガママながん患者が抗がん剤のつらさから逃げた。闘わずして楽な道を選んだ。そう言われたら返す言葉もないが、クタクタな不調の毎日の中でも、長くても短くても自分で考えて自分で選んでちゃんと生きたいと思っていた。

半年も保険請求を放置してしまったのは、あの時のつらい記憶がある病院に行きたくないという気持ちがあったから。FECの効果が確実に出ているのに、ここで放り出すのは残念だ、TCまでやってからではどうか、という主治医の言葉。それを振り切った微妙な罪悪感と、鹿児島での放射線治療を選択した自分は正しかったのだろうか、という不安を突きつけられるせいもある。

迷うし不安もあるし、ションボリすることもある。じゃあ鹿児島に行ったことを後悔しているかというと、そうでもないんだな、これが。

第2クールを終えた時の診察で、私は植松先生に生意気な宣言をしてきた。「先生にここまで消してもらったので、残りは気合いで消します!」先生「うん、大事なことですよ」と大笑い。実際に癌細胞が気合いで消えるなら楽なんだけど、そうはならないんだけど、それでもこんなふうに言えるのは鹿児島に行ったからだ。

総合病院の会計待ち中に、美術展で同じ会のご婦人を見かけた。体調不良で療養の為とだけ伝えて、研究会と懇親会はすべて欠席。出品もしていない。あれこれ聞かれるのは面倒だと、思わず走って逃げた。走って逃げられるほど体力も戻ってきたので会社に行くことにした。働かねばならぬ。食いぶちを稼がなければ。分かっちゃいるがウォームビズなんてやっている会社は寒い。寒いのヤダ。やだよぅ、寒いの。でも働かないとフトコロ具合はもっと寒い。働こう働こう、遊ぶ金欲しさに働こう。

ありがとうございました

9月、鹿児島でのオフ会でご一緒させていただいた方が、11月25日に逝去されました。ほんの一時ではありましたが、私には大切な出会いのひとつでした。静かな声ではっきりと話す様子から、颯爽とした聡明な方なのだと思いました。

あなたと会えたことに感謝します。ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

共依存かもしれないと腹をくくる

子供のころから父親とは仲が悪かった。何かにつけて対立して喧嘩になった。父親が死んでから気が付いた。似ていたのだ。似た者同士の反発だった。今となっては、まぁそんなに悪い関係ではなかったような気がする。当時は私も若かった、というより幼かったので全力でバトルしていた。父親も子供相手に手加減できないバカな大人だった。まったくもって似た者同士。

私の奥底にある負の塊は、表面的な対立のインパクトが強かった父親との関係にあると思っていた。10代の頃から感じていた何か分からないけれど支配されている窮屈さ、焦燥、屈折、卑屈、卑下。20代では、とにかく得体の知れない何かから逃げていた。30代で諦めたふりをした。何でもないのだと、うまく立ち回っていると思い込むことにした。40代で乳がんになって、自分の寿命や生き方を考えるようになって、奥に閉じ込めておいた色々な感情が泡立つように表に出てきてしまった。

自分と母親との関係は、共依存だ。

一度、その大きな負の塊を認知してしまった私は、もう戻れなくなった。母親にだけ問題があるのではない。共依存の片割れであったのは紛れもなく自分なのだ。精神科医に診てもらったわけではないので、実際のところ共依存じゃないのかもしれないけれど、そんなのはどうでもいい。得体の知れない何かを抱えたままでは生きずらい。名前をつけて輪郭をはっきりさせる。実態を与えて向き合う対象を明確にする。そして落とす。京極堂の憑き物落としと同じ道理だ。

この世には、不思議なことなど何もないのだよ、関口君。

とはいえ、京極堂には頼れないので自分でどうにかするんだけど。

この大きなストレスから逃れる一番の方法は、物理的に離れること。別居すりゃ解決。なんだけどねー、なんつっても安月給の事務員。出世なんぞ望めないペーペー社員。しかも貯金なんか使っちゃったもんねー。今は金銭的にちょっと・・・。

ってことで、まずは家庭内別居作戦ファーストステージ。母親は決まった時間に決まった事をする。食事も風呂も就寝も時間が決まっている。そして台所は彼女の城だ。すべて置き場所が決まっている。食器の重ね方にもルールがある。決して私や妹が入り込む余地を与えなかった。台所は我が家の中では難攻不落なデンジャラスゾーン。侵攻するのはレッドクリフ並の難易度なのだが、無謀にもまずここを落とすことにした。なんてね、御託を並べてみたけれど、平たく言ったら自分のごはんを自分で作るだけ。四十路も半ばの独身女が今さら自炊宣言ってのもヤバイっちゃヤバイ話だけど。いや、もう、お恥ずかしい。食材も財布を別にする。もともと家賃並みの金額を家に入れている。それに上乗せして食費となると、それなりに厳しいのだが、四の五の言っていられない。以前と同じ生活をしていたらがんになっちゃうのだ。

母は私の提案に対して「理解ある良い母親」である為に絶対に反論も抵抗もしない。ただし愚痴は言う。「あなたの為を思ってガマンしてあげていることを分かってほしい」「あなたの為に仕方なく受け入れてあげる母親の思いやりを理解してほしい」というのが母の先手だ。そしてストレスで体調が悪い、鬱になったかも、などとジワジワと敵に(つまり私に)罪悪感を抱かせ、もしくは面倒くさがらせる。最終的には素直で従順な子供の世話を甲斐甲斐しくする理想的な母親カーストのトップに君臨する。今まではそれに付き合ってきた。強烈な負のオーラを発する愚痴で長期戦に持ち込まれると完全にこちらが不利だったのだ。

これに抗う唯一の手立ては「鈍感」になること。スルーしちゃえばいい。負のオーラで真っ向勝負しても年季が違うから勝ち目はないし、なんか呪詛っぽくて身体に悪そうだ。京極堂が人を呪うと返ってくる呪いは倍返し!って言ってたし。いい年して母親の理想どおりの親子関係を装っていい子ぶるよりも、鈍感バカに徹するほうが気楽。そのうちお互いが(精神的に)独立できたらいい。得意かもなぁ、バカになるの。なんといっても私は父親に似ているのだ。

 

京極堂 京極夏彦百鬼夜行シリーズ主人公。妖怪のうんちく話は鬼もびっくりするくらいのボリュームだが、本物の妖怪はまったく出てこないという・・・。シリーズ最新刊、早く出してくれよぅ。

治療期間は確認しておこう

プチ波乱万丈な鹿児島滞在、後半の顛末。治療の最終日は事前に確認しておこう。できれば技師さんに!

第2クールは10月17日から2週間くらいと言われていたので、14日間とすると30日が最終日になる。ホテルは30日まで予約済みだが、あまりにギリギリだと心配だったので、鹿児島滞在中に31日まで延泊にした。11月1日、連休前に帰るつもりでいた。順調に治療できていたので、早めに飛行機を予約しようと何気に受付のお嬢さんに「私、30日に終わりますよね」と言ったらば「いえいえ、それはないと思いますよ」と。ヤベー、飛行機チケット予約しなくてよかったー、と騒いだら、気を利かせて早めに診察の予約をしてくれた。先生に「私は2日までですか?」と聞いたら、ニッコリ爽やかに「そうだね、がんばりましょう」というお答え。どうも先生の笑顔には毎度ノックダウンだ。

とかノンキなことを言っている場合ではない。さて困った。快適な法華クラブは1日までは延泊OKだが2日は取れない。3連休、しかも「おはら祭り」という大規模な秋祭り。どこも空いていない。あらやだ、ホテル難民じゃないの。遠くの温泉にでも行っちゃうか。連休は高いな。いっそ九州新幹線で県外とか。雨の予報が出ているので野宿は無理(雨じゃなくても無理)こまめに空室チェックをしていたら、たまたまダブルが出た。割高だが四の五の言っているとマジで野宿(だから無理)ダブルとりあえず確保。

私よりも先に治療を終えて帰るオンコロ友とランチしながら、そんな顛末を嘆いたら、なんとキープしてあるホテルがあると言うじゃないか。とりあえずダブルよりも3000円ほど安い。わざわざホテルまで一緒に行って、フロントで宿泊者の変更をしてもらう。助かった。これで安心して治療が受けられる。どんと来い、ピンポイント照射!

1日は朝9時からの治療だった。明日で終わりですねー、なんて朗らかに言いながら翌日の予約をしてくれる受付のお嬢さん。部屋の掃除があるので、すぐにはホテルに戻れずドトールで朝カフェしていた。少ない友人らに、もうすぐ帰るメールの作成中にオンコロジーから電話が。はて、忘れ物でも?と出てみると「すいませーん、今日で終わりでしたぁ」と・・・。うははははは、こりゃーウケるぜ。まぁ、いいけどね。もう鹿児島滞在も長いんで、ここにきて1日やそこら延びようが縮もうが大したことではない。飛行機だって3日で予約済だもんね。んじゃ、のんびり土産でも買おうとドルフィンポートまで行ってみる。海はいいよ、海。船が見えるのもいい。大きいメカ大好き。

高千穂高原ソフトクリームがおいしいと聞いていたので、桜島を眺めながら食べる。せっかくヒマな日が増えたのだから、やり残した(食べ損ねた)ことをやっておかなくては。

2日はオンコロジーセンターにご挨拶と書類の代金を清算して、外に出たらシティビュー(観光バス)がたまたま来た。何となく乗った。はて、乗ったはいいがどうしようか、と考えながら(本当は考えてない)みんなが降りるから流れで降りてみちゃった仙巌園。夏に来た時は快晴で景色は抜群だったが暑かった。唯一心残りだった両棒餅(じゃんぼもち)を食す。真夏に胴着姿で熱い解説をしてくれた示現流のイケメン君が赤備えだった。連休仕様?端午の節句みたいだけど。

あてずっぽうでも楽しめる鹿児島っていいよね。できればあてずっぽうにならないように、事前の計画とか早めの確認をしたほうがいいけどね。っていうか、きちんと確認しておきましょうね。

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紅芋ソフトと両棒餅(ぢゃんぼもち)

あちこちランチ

鹿児島滞在2週目。ひとりランチ行脚もそろそろネタ切れかと思い始めた頃である。ふと、9月まで同じ時期に治療をしていた彼女がそろそろ鹿児島入りしているのではないかとメールしてみる。当り!ごはんしようと提案する。第1クールで一緒だったみんな、元気だろうか。たぶん元気だな。明るくておしゃべりで、おしゃべりで、おしゃべりで、したたかにしなやかに、意志は強いが情の厚い人たちだもの。UASオンコロジーセンターで知り合った友人たちの印象である。みんなガンなのに愉快な人ばかり。

ランチも2人になるとまた趣向が違ってくる。ひとりで入るのに躊躇していた店に行かれる。まずは寿司。前回は真夏で抗がん剤で痛めつけられた上に放射線だったので、さすがに寿司を食べる勇気はなかった。まぁ、今回だって白血球の値は落ちるのだか、肉より魚派の私はもう限界なのだ。寿司なんていつ以来だ?4月か、そうか4月だ。治療前に行っとけー!とぽんちゃんが新潟まで連れていってくれたのだ。寿司のために県外。海のない所に住んでいると不便よねー。

あちこちのオンコロブログに登場している「喜鶴寿司」はカウンター席を確保すると目の前で握ってもらえる。880円でたっぷり楽しめる。思わず「うまい!」と雄叫びあげるのも致し方あるまい。

翌日は野菜をたっぷり取るべく、レム鹿児島2F「巳八」で。ビュッフェスタイルで好きなものをセイロで蒸してたらふく食べまくる。飲茶ありカレー・パスタあり、デザートまである。一見して健康志向な品揃えだが、食べすぎるのはいかがなものか。いや、あの状況で自制できる女子がいるだろうか。無理!グルメサイトでクーポンをGETしてから行くがよろしい。

ホテルのロビーで治療までの時間調整。そこで友人がバッグから取り出したメモ。そこには何やら細かく書き込まれたタイムテーブルが。「行きたいランチ店リスト」だった。日数が足りなくて~、全部は難しいかな~、とパズルを解くように治療時間とすり合わせている。本人いたって真剣なのだが・・・すまん、ちょっと笑っていいッスか。念のためだが、私たちはガンの治療中である。

そして、これを書いている日の昼ごはんは「いちにぃさん」の黒豚とんかつ定食だったりする。ミルフィーユのように何層にも重ねた黒豚もも肉は柔らかく、余分な脂がないのでさっぱりと食べられる。豚汁がまた野菜たっぷりで量も多い。ごはん半分にしてもらうのを忘れたが、気が付けば完食。しつこいようだがガンの治療中である。

第1クールでは早歩きすれば息切れ、階段3段でグダグダ疲れ果てていたが、第2クールのこの普通っぷりはどうなんだ。折しも食欲の秋が到来中。馬も肥ゆるが自分も肥ゆる。デンジャラスな季節だ。

全国的な傾向なのかは分からないが、鹿児島には自然食とかオーガニックとかマクロビオテックとか、健康食と呼ばれる料理を出す店が多い。城山の地球畑にじのたね、レム鹿児島の隣のキッチンキャベツはそれが売りなのでオンコロ女子の御用達。巳八は蒸し野菜、夜行杯は焼き野菜。マルヤガーデンズ内のカフェやレストランでも何気に五穀米だったり、ハンバーグが豆腐やレンコンだったりする。オサレなカフェ飯に味噌汁がついていることもある。外食ばかりではあるが、心がけひとつで野菜はたっぷり取れるはず。

鹿児島での治療中、食事をする店には困らない。ガイドブックやネットで探すのもいい。入院組の人たちは先輩たちから情報を引き継いでいたりするので聞いてみるのもいい。そんなこんなで「行きたい店リスト」を握りしめて悩む、なんてことにもなるわけだ。

治療期間は長いようで意外とあっという間に過ぎてしまう。神様がくれた休暇。どう過ごすかは自由なのだ。

あれこれ資金繰り「ホテル編」

治療中のホテル宿泊も長期になるので資金繰りも楽ではない。UASオンコロジーセンターは自由診療なので治療費だけで車1台分だったりする。滞在費や食費などの諸経費を含めると、個人差はあれどターボエンジン搭載の軽自動車からプリウスくらいはかかる。私は普通の田舎の事務員なので普通に貧乏だ。都会のキャリアとは立ち位置が違う。正直に言ってしまえば、庶民は保険を使って入院したほうがいいと思う。だけど私はホテルを選択した。

定年退職後の生活や老後の為にセコく貯めていた。年金なんて不透明なものに寄り掛かれない不憫な世代なんだもの。独居老人にはなっても、がんになるとは思っていなかった。しかも5年生存率30%以下は想定外だった。こうなった以上、墓場まで貯金なんぞ持っていったところで意味がない。ないかもしれない老後より、生きてる自分に使っとけ!と思ったわけだ。子供がいたら少しでも残そうと考えたのだろうが、なんつってもね、子なしシングル40代だもの。決して投げやりになっているのではない。自分で稼ぐ。自分で使う。ただそれだけのこと。

まぁ、そうは言っても今回で使い切ってしまったので、預金残高は潔い数字になっている。清々しいくらいだ。万が一、王子様が現れて結婚詐欺なんぞに引っかかっても無い袖は振れない。

万が一よりも少し高い率で、1年くらいで再発しちゃった場合、残念だがUASオンコロジーセンターで治療ができるかも分からない。無い袖は振れないのだ。完治は厳しいが、できれば癌細胞には最低でも10年くらいはおとなしくしていてもらいたい。その間に働いて稼ぐ。手術の後遺症がない分、働きやすい。

さて、本題のホテル編

ホテル選びのポイントはそれぞれだと思うので、特に参考になるような情報発信はできないのだが、あくまでも私感として読み飛ばしてほしい。

UASオンコロジーセンターに事前に相談すると、セントイン、東横イン天文館2、ドーミーインのいずれかを紹介してもらえる。私はのちに入院組から大笑いされることになるのだが、セカンドオピニオン時に植松先生に直接質問した。鹿児島ではグルメや観光を楽しみたいのでホテルがいい。皆さんどうしてますか?とぶっちゃけ聞いてしまった。受付に聞いてみて、と言いつつも、ここは安い、これは無難で普通、温泉付き1ヵ月タイプはウチの通院用に設定されたようなものかな、という感じで、かなり具体的に教えてくださいましたよ。セカオピの貴重な時間を私はいったい何やってたんだ・・・と今ではセルフツッコミしたい。

第1クール 8月19日から9月22日までの宿泊先。

  • 城山観光ホテル  初めての鹿児島記念に1泊
  • ドーミーイン 1ヵ月マンスリー朝食付き 高見馬場
  • レム鹿児島 友人とツイン1泊 天文館
  • 城山観光ホテル レディスプラン ツイン1泊
  • 霧島観光ホテル 霧島温泉 朝夕付 1泊

第2クール 10月15日から11月3日まで

第1クールに関しては治療期間中の宿泊はドーミーインのみ。他は観光。第2クールであちこち転々としているのは、台風で前乗り、後半は治療最終日を確認していなかった為に急きょ延長。連休でプチ難民。

天文館周辺、治療中の宿泊先選びの対象になりそうなホテルのレポートは以下のとおり。

セカンドオピニオン翌日、速攻でドーミーインを予約。ベッドがシモンズ堅め140cmで寝心地抜群。部屋が広く長期滞在でも圧迫感なし。空の冷蔵庫あり。タオル等は毎日交換だが清掃は1週間に1回。ここを気にする人は多いが、私はスーツケース広げっぱなしのズボラなので、むしろ気楽。温泉は無色透明。部屋はシャワーのみ。コインランドリー無料。洗濯物を干すスペースあり。朝食バイキングは品数が多く充実している。ただしマンスリープランじゃないと少し宿泊代が高いんだよね。

第2クールはα館で11泊。早めの予約でかなり安く泊まれる。フロントの人がとても親切で丁寧。部屋は清潔。窓から照国神社の鳥居が見え、通りから少し奥に入っているので騒音もなく落ち着いた場所。オンコロジーセンターに近い。天文館にも行きやすい。おやつ買いすぎる。照明が黄色く暗めなので本を読むのは不向き。空調設備が古いので音が大きい。冷蔵庫が冷えない。真夏の長期滞在はエアコンと冷蔵庫がネックになるかも。備品類は必要最小限。ポットは貸出。安いからね、贅沢言ったらダメだけど不便はない。

ホテル法華クラブは思っていたよりアタリだった。柔らかめ140cmベッドなので、その分だけ床面積が狭くスーツケースを広げると目一杯だが、部屋そのものは狭くない。LEDシーリングライトで明るく、PC作業のしやすそうな机。温泉ではないが大浴場あり。備品、アメニティはそこそこ充実。朝食が良い。野菜がたっぷり取れる。朝から食べすぎる。天文館には少し歩くが高見馬場電停が目の前。コンビニ近い。窓からアミュランや電車通りを眺めるのも悪くない。

レム鹿児島。(シャワーのみ女子2人ツイン)とにかくスタイリッシュ。機能優先ではなくオシャレ仕様。アメニティがピンで留まっていたりシャワールームがスケルトン(笑)1階にタリーズ、2回巳八の蒸しビュッフェは90分食べ放題。やっちまえー!

エースイン。さすがアパ系列。いろんな意味で予想どおり。必要なものは一通り揃っているシンプルなビジネスホテル。窓が開けられない。開くけど隣のビルの壁しか見えない。空調の温度設定ができない。コインランドリーは屋外で駐車場の片隅。庶民的な朝食サービスあり。ホテルは寝るだけ、と割り切る人向きかも。

霧島温泉と城山ぜいたくプランは抜きにして、朝食、コインランドリー、大浴場がある、という条件で決めていた。体調管理の為、朝食は必ず取りたい。平熱が35度台なのでお風呂で温まるのも大事。今回、これ以外に感じたのはシーリングライトがいいってこと。しっとり暗いほうが落ち着きそうなものだが、照明が暗いと気分も暗くなるらしい。穴のあいた靴下をチクチク縫ったりするにもシーリングライトのほうが都合がよい(謎)

鹿児島市内、特に天文館周辺はたくさんのホテルがある。長期滞在になるのでフトコロ具合と自分基準でうまく折り合いをつけるしかない。とはいえ、基本的にはUASオンコロジーセンターで紹介してもらえる3つのホテルは選びやすく、条件としては揃っていると思う。そして以前にも記したが、ホテル滞在中の体調管理は綱渡りだってことを忘れてはいけない。放射線治療にも副作用はある。がんになる前の自分とは違うのだ。

とかナントカ言って、さんざん食べ歩いて食い倒れ鹿児島ツアーを決行したのは誰だ、私だ、道楽三昧。フトコロ具合が寒すぎる。