普通日記

働くトリネガ、絵描き修行中につき

働かねばならぬ2

5月に1回目の化学療法にビビって入院した。その時の保険請求をしていなかったので、今更ながらお世話になった総合病院に診断書をもらうべく手続きに行った。受け取った診断書には主治医の所見として「化学療法により縮小を確認できたが、本人の希望により放射線を主体とする治療に移行する為、転院」と記載されていた。少しチクリと心に刺さる。

以前に同じお題目で書いたときは、抗がん剤の副作用で日に日に弱っていく身体に、気力どころか普通の思考回路すら断絶気味だった。身体よりも先に心が死ぬと思った。こらえ性のないワガママながん患者が抗がん剤のつらさから逃げた。闘わずして楽な道を選んだ。そう言われたら返す言葉もないが、クタクタな不調の毎日の中でも、長くても短くても自分で考えて自分で選んでちゃんと生きたいと思っていた。

半年も保険請求を放置してしまったのは、あの時のつらい記憶がある病院に行きたくないという気持ちがあったから。FECの効果が確実に出ているのに、ここで放り出すのは残念だ、TCまでやってからではどうか、という主治医の言葉。それを振り切った微妙な罪悪感と、鹿児島での放射線治療を選択した自分は正しかったのだろうか、という不安を突きつけられるせいもある。

迷うし不安もあるし、ションボリすることもある。じゃあ鹿児島に行ったことを後悔しているかというと、そうでもないんだな、これが。

第2クールを終えた時の診察で、私は植松先生に生意気な宣言をしてきた。「先生にここまで消してもらったので、残りは気合いで消します!」先生「うん、大事なことですよ」と大笑い。実際に癌細胞が気合いで消えるなら楽なんだけど、そうはならないんだけど、それでもこんなふうに言えるのは鹿児島に行ったからだ。

総合病院の会計待ち中に、美術展で同じ会のご婦人を見かけた。体調不良で療養の為とだけ伝えて、研究会と懇親会はすべて欠席。出品もしていない。あれこれ聞かれるのは面倒だと、思わず走って逃げた。走って逃げられるほど体力も戻ってきたので会社に行くことにした。働かねばならぬ。食いぶちを稼がなければ。分かっちゃいるがウォームビズなんてやっている会社は寒い。寒いのヤダ。やだよぅ、寒いの。でも働かないとフトコロ具合はもっと寒い。働こう働こう、遊ぶ金欲しさに働こう。