普通日記

働くトリネガ、絵描き修行中につき

小さく傷つく、大きく素通り

がんになってみなくちゃ分からない事がたくさんあって、それをがんじゃない人に理解してくれとは思わないけれど、何気ない言葉に傷つくことはある。優しさや気遣いから派生する言葉であっても傷つくことがある。悪意がないので言葉を放った本人はきっとずっと気が付かない。受けたこちらは悪意がないのが分かるだけに余計に残酷だな~と思ったりする。身体の中にジワリと侵入してダメージを与えるそれらの言葉は避けようがない。ならばいったん受け入れて、できるだけ早めに排出してしまおう。私はこのブログで排出機能を鍛えているよ。自分の頭で考える。整理してテキストにする。解決しなくてもいいが、何が問題なのか、何を問題にするのか、しないのか、そこは自覚していたい。それ以外はスルーしていいってことだ。避けられないなら通過で。

「さっさと切ってしまえばいいのに」とか「早く産んでおけばよかったのに」なんていうのは、とっととスルー。妙齢シングル女子に「まだ捨てたもんじゃない」って言うのと同じノリだね。捨てた覚えはございませんが、何か?

「前世で何か悪い事しちゃったのかもしれないね。前世も自分であることに変わりないの。これも魂の修行だと思って頑張って」という変わったパターンもあった。

生まれ変わる時に記憶も込々でっていうなら自己責任もあろうが、リセットした状態で生まれ変わっているんだから人格は別。たとえ自分であっても別人格の自分を自分とは認識できない。もし前世があったら、その時の自分はその場で一所懸命に生きたはず。生まれ変わったとしたら、その時の自分はその場でがんばれ。

輪廻転生、あってもなくてもいい。そんな私はあちこちで転生しないと言われる。オーラが白でどーのこーのですってよ。お金払って見てもらったわけじゃないから分からないけど。

ここまで書いて、ちょっと思い出した。山本一力の「梅咲ぬ」という小説。長年、苦楽を共に連れ添った夫婦。先立つ妻がつれあいに「また逢いましょうなあ」と言う。粋な別れだな~。

 

 

梅咲きぬ (文春文庫)

梅咲きぬ (文春文庫)