普通日記

働くトリネガ、絵描き修行中につき

8月後半、あちこち歩いて散財する

8月も後半、地元の友人から、すっかり涼しくなったとメールが届く。トンボとかコスモスとか、いったいどこの国の話だ?

鹿児島はまだまだ夏だ。ホテルの羽毛布団が暑いので、中央駅まで出てタオルケットを買う。暑さと貧血で相変わらずのろい動きだが、アミュ地下でおいしそうなお惣菜やパンなども買い込む。血管痛でひきつる腕にはそこそこの荷物である。さらに罰ゲームかってくらい暑い。さすがに歩いて帰る自信がないので、ここはラピカをビシィッと出して市電に乗る。どーよ、鹿児島通っぽいじゃないか。

夏のバーゲンは終わっているが、あちらこちらで最終セールの値札が気になって仕方がない。最初にやらかしたのは照国神社の近くにあるハッシュパピーだ。歩いたほうが良いに決まってる。靴だ、靴を買おう、半額だし、おばちゃんさらに1000円引いてくれるって言ってるし。

その後も中央駅周辺や天文館などに出没し、セール品をあさることになる。身軽に出かけて帰りは市電。市電が混んでたらバス。なんて便利なんだ。ラピカを購入する時に「3000円分も使い切れないよぅ」と妹に言ったのは誰だ、私だ、チョロいぞ、たぶん。

ラピカはいいとして、どんだけ荷物増やしてんだ。つーか、トリネガ3C、もはや物欲など捨てるんじゃなかったか。かつて、ダイエット宣言をした口で豆大福を食らうのよねー、とダメダメなセルフツッコミをしていたことを思い出す。がんになっても本質は変わらないってことか。ここで買ったお洋服は、来年にはパツンパツンだな。来年、そうだといいんだが。

まぁ、いいじゃないか、ここは鹿児島。ロングバケーションだぜ。遊びに来てるんじゃないけどね。がん治療だけどね。油断できないトリネガだけどね。しかも微熱とか貧血とかあるけどね。

 

鹿児島はずいぶんと人懐っこい土地柄のようだ。抗がん剤で髪がない。帽子を目深にかぶっている。まつげがないので黒縁めがね。鼻毛もないのでマスク。真夏にそんなおばちゃんが平日の昼間にウロついていたら怪しいに決まっている。しかしどこでも店員は愛想よく話しかけてくる。治療後に小腹が減って通り沿いの看板をガン見していたら、お店の人に「良かったら中でメニュー見てってくださいねー」と声をかけられた。こだわり食材の食べるスープ屋だった。野菜不足だと感じたら、ここに来るのが私の定番になった。

 

暑い~、だるい~、疲れる~と言いながらも外出できるようになった。やるじゃん、自分、と調子こいて水も持たずに高見馬場から加治屋町まで歩いたら、途中で暑さにやられて命の危険を感じてホテルに速攻戻るということもやらかした。鹿児島の暑さをなめたらいけない。ポカリをぬるま湯で薄めてガブ飲みし、ベッドでボロ雑巾化した。さすがに熱が出た。でも治療には行った。マジメだねぇ。帰りにうどん食べてうまかった。じゃなくてだ、鹿児島の夏をなめちゃいかん、という教訓をだね、言いたいわけだよ。特に抗がん剤後で寒冷地仕様な人々に!あんまりいないけど。

情報交換は大事なのだ!

オンコロジーセンターでの治療は始まるとともに、鹿児島でのホテル生活もスタートした。1か月前のセカンドオピニオンの時点では、元気に観光とグルメめぐりをしているはずだった。

しかし体調がすぐれない。だるさが抜けず、ゆっくりとしか動けない。信号が点滅してもダッシュなんかしたら行き倒れること間違いなし。微熱もある。ホテルを引き払って入院させてもらったほうがいいだろうかと本気で考える。考えるが行動に移す気力がない。ただ黙々と治療に通い、最初の週末になった。

診察のない週末のオンコロジー待合室は少し雰囲気が違う。旧知の人たちが楽しそうに集まっていた。気力なんかなくても何となく自然と会話に混ざって、いろいろと話を聞く。

どうやらホテル組は自己申告しなくてはならない項目がいろいろあるらしい。まずは血液検査だ。聞いたその場で看護師の桜井さんに紹介状を書いてもらう。

内服の抗がん剤の処方については次回の診察時に自分で確認すること。だんだん要領がつかめてきた。

初対面で初心者の私に、まさによってたかってオンコロジーの極意を伝授してくれるこの人たちって、どんだけ親切なんだ!

たまたま同じホテルに宿泊中のKさんと夕食に行くことになった。さらに快適に治療を受ける法則を聞く。この日を境に、体調が安定するようになった。どうやら誰かと話をすると元気になるようだ。

言葉のやりとりは特効薬だ。笑うと免疫力が上がるというが、まんざらデタラメではないらしい。

それなら、ということでKさんに教えてもらったオフ会に締切ギリギリで参加表明した。人付き合いに関しては決してフットワークが軽いタイプではないのだが、オンコロジーで会う人たちの様子から、きっと大丈夫だと思えた。

 

少しずつ安定傾向とはいえ、やはり体調が良いとはいいがたい。暑さに慣れていないせいもあるのだろう。

血液検査後、病院を出てザビエル公園のあたりで動けなくなった。冷や汗が吹き出し、胃がむかつく。目の前の景色が白黒のモザイク状になり耳鳴りがひどい。意識がぼんやりしてきた。なんじゃこりゃー。どうにか病院に引き返し、しばらく休ませてもらった。こんなことは初めてだ。

人に対しては前向きになれたが、自分の健康に関しては少し臆病になった。総合病院で処方されたまま残っていた解熱剤が数日分しかない。市販の解熱剤を買う。抗がん剤投与以前の当たり前だった日常は現実だったのかすら分からなくなっている。

検査、診察、治療開始

8月21日はPET検査なので朝食は抜きだ。体調が悪くてめまいか、空腹でめまいか分からない。昼からの予約なので炎天下の中を歩いてPETセンターに向かう。目の前に看板が見えているのに遠く感じる。身体が重い。ゆっくりと歩かなければ動悸と息切れがひどい。さらに空腹。腹減ったぞ。貧血と倦怠感はいまだに残るFECの影響なのだろうが、なぜか食欲だけは復活傾向にある。味覚障害も回復していないのに。なんだこれは、食い意地か?

検査の前に水を500cc飲むのだが、看護師さんが優しく「飲めるだけでいいですよ、無理しないでくださいね」と言ってくれる。水だって腹の足し。イッキ飲み。おかわり下さい!

PET終了後、その場で検査データを受け取りオンコロジーセンターに行く。初めての総合病院も戸惑ったが、まったく別の意味で戸惑う。病院っぽくない。ホテルのロビーのような雰囲気だ。受付でデータ渡し、今日はここまでかと思えば、先生の診察があると言われる。今までは検査ひとつするのに1週間は平気で待たされ、結果が出るまで待ち、主治医にはいる会えるの?という感じだった。

そんなオンコロジーセンターのシンプルな流れはいいのだが、この時すでに午後の3時半。もはや空腹どうこうではない。疲れてヨレヨレである。まわりの待っている人たちは和やかにおしゃべりしていて、どうやらお盆明けから治療開始の人の話も聞こえてきたが、そこに入っていく気力すら失せていた。植松先生の初診察で緊張レベルはMAX。座っているのに動悸息切れめまいのオンパレード。どうする、こんなで。大丈夫か、自分。

5時少し前に診察室の扉があいて名前を呼ばれる。ド緊張しすぎて頭の中はスッカラカンである。沈黙。なんか言ってください、先生!

挙動不審な私に、植松先生がPETの画像を指して「ずいぶん縮小して今はこんな感じ。抗がん剤で苦労した甲斐があったね」と。

すっかりバカになっている私は「はいぃぃぃ、もう苦労しました、もう、ほんと抗がん剤イヤですぅぅぅぅぅ」と・・・。

んなこと言ってる場合じゃないだろっ、とその日の自分につっこみたい。

そしてバカスイッチONの私を置き去りに「薬の効くタイプの人は放射線の効果が出やすいから。機械があいてるから今から治療できるけど、どうしますか?」と冷静に言われる。やります、やりますとも!よろしくお願いします。ヨロヨロだけど。

そして初めての照射。治療そのものは数分で寝ているだけなのだが、興味をそそるメカがそこに。すごい、見たい、見たいけど動いちゃいけない。メカーーーー!!!

岡本太郎太陽の塔みたいな形のヤツが寝ている自分の周りをぐるりと旋回するのだ。マニア心をそそる治療の部屋なのである。まずはここで1か月か。いよいよ新しい道に踏み出しちゃったのだな。片道通行だけどな。いろいろ捨ててきちゃったし。もしかしたらこの選択は・・・とスカスカになった頭で考えないわけでもないが、それにしても腹減ったぞ・・・・。

鹿児島到着(治療前)

鹿児島空港から鹿児島中央駅までの直行バス(1200円、天文館他バス停あり)にタイミングよく乗り継ぎ、夏の緑が押し寄せてくるような山間部の高速道路を走る。空が広い。目線の先に空が見える。長野ではこうはいかない。目線の先には必ず山!

鹿児島は生命力に溢れているように感じる。それは城山観光ホテルについてから、さらに強く感じた。城山、意外とパワースポットなのかもしれない。余談だが、ザビエル公園は心霊スポットと一部で言われているらしいが、夜の10時に近くを歩いても何も感じなかった。公園なのになぜ暗い?とは思ったが、個人の波長によって受け方が違うのかもしれない。だとしたら、鹿児島全体から感じ取れる陽気なパワーは、きっと私にとって良いものに違いない。

 8月18日に桜島が噴煙を5000メートルも吐き出した。その翌日に鹿児島入り。妹には「ねーちゃん、もってるねぇ」とニヤニヤされる。いや、ちょっと待て、アンタかもしれないじゃないか。その後、数少ない友人たちから「やるじゃん、噴火」「さすがだよねー、桜島に歓迎されちゃったねー」などのメールが続々と。どいつもこいつも・・・。

 どこもかしこも灰色だ。こりゃ大変だ。しかし予想に反して街の中は電車もバスも人も、どこも混乱している様子ではない。ただ晴天にもかかわらず傘をさしている人が多い。実際に外出してみたら理由はすぐに分かった。頭からつま先まで灰だらけ。目もあけられない。なるほど、傘は必要だ。なのに街は普通に動いている。おそるべし鹿児島!

 城山観光ホテルから灰で白くなった桜島を見る。壮大な景色をただ黙って眺める。だんだん太陽が沈んでいく様を見ていたら、会社の先輩女史から着信がある。少し話をする。ちょっとグっとくる。これから先、けっこういい感じなんじゃないかと思った。根拠はないが、ただそう感じた。よろしく鹿児島!!

 夕食の時間が近づくとともに微熱がなんとなく治まってきた(ような気がする)喰うぞ、喰うったら喰う、薩摩フランス。

40代姉妹ふたりで見事な夜景を眺めながらのディナーである。フレンチベースではあるが、上品なプレートの小さく並ぶ食材は日本料理のように美しい細工が施され、それぞれの味がしっかりと印象づけられる工夫がされている。次々と出てくる料理はどれもおいしかった。ディナーの中盤、遠くで花火があがるのが見えた。よろしく鹿児島!!!

まだ味覚障害が残っている。万全の体調だったらもっと楽しめたはずなのに。残念。私の味覚障害の特徴は、上白糖と化学調味料の味が泥水になる。まるでセンサーが反応するように敏感に泥水になるのですこぶる迷惑である。現代に生きる上で化学調味料なしでどうやって食生活を維持しろと?しかし、城山観光ホテルのディナーはどれもおいしかった。そして朝食バイキングの充実っぷりに驚いた。大広間の隅から隅まで料理が並んでいて、とてもじゃないが食べきれない。

 贅沢な休日はここまでで、20日からは電車通り沿いのホテルに移る。朝食付きマンスリーを予約済みだ。15時のチェックインまで中央駅あたりを妹に案内してもらう。市電とバスに乗る為のプリペイドカード「ラピカ」を手に入れる。しかし、夏休み中の賑わいと慣れない残暑の過酷さにいきなり降参。スタバに避難するも人の動きと話し声でクラクラだ。翌日のPETは大丈夫だろうか。そして頼りの妹は早々に帰る予定になっている。夏休み中の子供たちを置いて鹿児島まで来てくれたのだ。心細いがここからは自分の戦いだ。とはいえ、なんとなくのんきで陽気な鹿児島の空気に戦意が失せる。良い意味で脱力。気合いなんか入れようが抜けようが、がんになっちまったものは仕方がない。治療と休暇の始まりだ。

 *ラピカ http://www.kotsu-city-kagoshima.jp/ticket-summary/rapica/

*市内の電車通りでマンスリータイプがあるホテルはかなり限定されるのでもしホテル希望であれば早めの手配をおすすめする。(安くないよ!)

鹿児島到着まで

7月25日に4回目のFECを終え、最後にして最強の副作用にくじけた。まだ3日目くらいまでは、がんじゃなく抗がん剤で死ぬんじゃないかと途方に暮れるだけの思考力があった。しかし1週間たっても10日が過ぎても体調は下降の一途で、ただ1日をなんとかやり過ごすだけで精一杯になった。もはや思考など霧散した。8月に入ってからは、ほとんど仕事にならず予定よりも早く長期休業に入った。いつもなら白血球を増やす注射をしたその日から元気になったが、微熱が続き食欲も落ちたままだ。結局、体重はMAX時から10キロ減だ。もう生理なんてのは薬で止まったのかどうかすらわからない。貧血もひどい状態なので止まってくれて結構だ。むしろこのまま終わってくれていい。もう産むことはない。産んでも子育て中にリタイアもありうるのだから。

 鹿児島に行く日が迫ってきたが、微熱と動悸息切れ立ちくらみ、厳しい倦怠感は引く気配すらなく、さすがに不安になった。自宅から最寄り駅まで歩いて10分もかからないが、真夏の炎天下に荷物をかかえて歩く自信がない。長野駅で新幹線に乗り換え、さらに羽田空港まで乗り換えが2回。まったく大丈夫な気がしない。困った時に登場するのがぽんちゃんだ。月曜なのに休みを取って駅まで送ってくれるという。もし本当に具合が悪かったら車で羽田まで行ってもいいとまで言ってくれた。まったくもって女にしておくのが惜しい。新幹線が動き出すまで、ずっとホームで手を振ってくれたことを私は一生忘れないような気がする。

そして東京駅に着いたところで妹と合流。乳がん告知以来、私はこの妹に頭があがらない。この日も旦那に話をしてくれて空港まで車で送ってくれた。本当に助かった。昼のソバ代くらい奢るっつーの。お安いもんだ。「ダンナが送ってくれるってー」とメールをもらった時に、さすがに遠慮した。すると妹は「子供の頃から甘える習慣がない人にとっては厳しいことかもしれないがこれもクリアしなければいけない試練だと思って頼ってみたらいい」という返信をよこした。これは絶妙な言葉だった。この申し出は心から感謝した。ありがとう。

 ここまで来るのに、どれだけのありがとうがあっただろうか。ありがとう。うまく伝えられているだろうか。

 こんな体調で治療が受けられるのかという不安はもちろんだが、鹿児島初日に宿泊する城山観光ホテルの夕食は「薩摩フランスコース」だ。鹿児島も食材をふんだんに使い、箸で気軽に食べられるフレンチを最上階のスカイラウンジで頂ける。張り切って1か月も前に予約済みだ。これが食べられなかったらどうする。旅の初っ端から残念エピソードはゴメンだ。旅じゃないけど、がん治療だけど。いいじゃないか理由はどうあれ鹿児島までやって来たのだから。

第1クール終了

UASオンコロジーセンターで8月21日から28日間の治療を終えて帰ってきました。抗がん剤の影響、環境の変化、放射線治療の副作用など、体調は決して絶好調ではありませんでした。そもそもがん患者がバリバリ健康で100%元気であるわけがなく、加えて四十路半ばなわけで、こんなもんだよね、と思えるくらいの状態でした。治療のない昼間は天文館をウロウロ歩き回り、市電やバスに乗って中央駅あたりでおいしそうなものを物色し、ホテルの温泉に浸かってウヘェ~と言い、ベッドでゴロゴロしながら無料の新聞を読み、熱が出たらさっさと寝る、という毎日でした。考えることと言ったら「今日は何を食べよっかな~♪」くらいなものです。マンスリーのホテル宿泊でしたが、入院チームのランチにまぜてもらったり、待合室で息継ぎ忘れるくらいの勢いでしゃべり倒したりしていたので、孤独でブルーになるヒマなどあるわけもなく・・・。平たく言ったら、元気で楽しく過ごしちゃった、ということです。だからといって不安がないわけじゃない。むしろ不安の輪郭がはっきりと具体的になってしまった分、自分で考えたり行動しなければいけないこともあるのだと腹を据えておかなければ。

 鹿児島での治療の経緯や過ごし方、ホテル生活の利点と弱点、その他いろいろ少しずつ公開していきます。しかーし、あくまでも自分メモブログという立ち位置を変えるつもりはアリのウ〇コほどもございませんよ。

 第2クールは10月中旬から。ホテルにするか入院するか、迷うっちゃ迷う。